1973年05月01日

川口君虐殺糾弾・早大解放闘争支援の環をますます広げるための趣意書

川口君虐殺糾弾・早大解放闘争支援の環をますます広げるための趣意書

 昨年十一月八日、早稲田大学学生川口大三郎君が、革マル≠ニいう組織とその革マル派全学連≠フ手による陰惨なリンチのテロルを受けて、虐殺されたことは、すでに多くの方々が御承知のことゝ思います。それ以来、早大の圧倒的多数の学生は、このような惨殺の平然と許されてきたことへの、自分自らの責任を間いつめ、このような暴虐の由来する路線が何であり、それが無数の人々の頭上に貫徹することが許されるとはどういうことを意味するのかを問いつめながら、川口君虐殺糾弾・革マル追放・早大解放――大衆的で戦斗的な自治会の建設の闘いをくりひろげつゝ、このような虐殺の禍源を絶つ闘いを、不屈に推し進めています。その闘いの一端は別紙の闘争日誌にも見られる通りです。
 しかし、革マルを利用して学生管理をしてきた早大当局は、何ら真剣な反省をせずに学生の追求から逃げまわり、ついに早大総長が早大全学行動委員会を先頭にして大衆の前に引き出され、全学大衆団交を約束するに至った日は、川口君虐殺からちょうど半年目にあたります。――革マルは「濃密な党派闘争」と称して、早大大衆運動の組織だった推進の力となっている活動家への陰惨なテロルを一段と強めながら、恥知らずの政治的言いまわしと腐れ果てた性質のゲバルトを先立てゝ早大学生を再征服せんとあがき、国家権力、公安警察、この積年の早大圧制からの解放闘争を、目のかたきにして弾圧しています。  革マルといえども権力に対して鉄道上で反抗の姿勢を示せば三百余人逮捕されもしますが(すでに三日で大半は出してもらったようですが)、「過激派」なるものを「党派闘争」なるものでつぶしてくれる限り、権力は際立った理解を示すということは、彼らと闘う者の身にしみて知っていることです。
 このような事態の中で、早稲田大学の学生は、全国の闘う学生、それのみならず全国の闘う労働者、闘う市民との不抜の連帯を求めつゝ、不屈の、強じんな大衆闘争をもって大衆的自治会を推し進め、多くのクラスに大衆的行動委員会を、学部に団交実行委員会を生み出し、全学行動委員会(準備会)を組織し、腐れ果てた暴力的圧制に抗して、大衆自身の実力をもって鍛えあげる大衆組織を建設しつゝあります。今日の早大の闘う学生の多くは、すべての「党派」を十把ひとからげにして投げ捨てんとしているのだ、ということは決してできません。そうではなくて、一段また一段と真剣に闘いの根底を問題にしていかざるを得ないこの真実の大衆闘争において、根本的に大衆闘争の発展に敵対する宗派(セクト)と大衆闘争の発展の推進力となる真実の大衆自身のための党派との、あらゆるみせかけを引き裂いての判定が行なわれているのだといわなければならぬと思います。いま、こうして早大においてのあらゆる大衆組織と党派が、その真実性を試されつゝある真只中にあります。
 われわれは、あらゆる闘う大衆組織、闘う市民団体、とりわけ労働者の組織に、宗派革マルに対して厳重に警戒し、闘う早大学生と共に闘うことを呼びかけ、共に闘い抜きたいと思います。職場で、地域で、帝国主義のすさまじい破壊的作用に抗しての破ろうに破れない階級闘争の発展は、たち向ってくるあらゆる宗派的敵対を打ち破ってこそかちとられるのだと思います。それは、「内ゲバ反対」ということで、どうせくだらない奴ら相互のくだらない争いでと傍観する無関心や、敵に対抗しての統一の成り難いことをなげくことでは、それは決して消え去らないどころか、いつの間にかそれの上に君臨して無数の大衆が呻吟しなくてはならぬ破目にもなります。「内ゲバ」への真剣に問題とされた反対の中には、大切なものが含まれていることを、見落してはならぬと思います。それは、あのスターリンの下で典型的な「粛清」を決して許してはならぬ、ということゝしてつかみ出すことができると思います。しかし、その「粛清」に端的に示される宗派的暴力の腐敗は、ただ、大衆闘争とその発展を推進することで自分を試し続けなければならぬプロレタリア的党派とのしっかりと結びついた真実の階級闘争の発展によって、きっぱりと打ち破られるのでなければ決して根絶できないのだと考えます。
 宗派革マルは、川口君虐殺についてすでに自己批判しているのだと称し、さらにその上自分だけが自己批判できる党派だと称し、さらにその上に「十一・八問題の民青による政治的利用を許さず戦闘的自治会を防衛せよ」と称して、自分をも他人をも欺きたいと度し難さで、何ら疑いないかのようです。だがその「自己批判」なるものこそ、彼らの底知れぬ腐敗の道の現段階を端的に示すものだと思います。彼らは、目的に合致して組織的に行う自分達の「党派闘争」には「腐敗の入り込む余地などない」と称していたのであったが、「自分達に無縁である」べきはずの「社会の荒廃」が無縁でなかった「一部」の者のせいであるから、もっと「党派闘争の論理と倫理」を体得して、もっと「党派闘争にはげみ」、それをもって大衆闘争の飛躍をかちとれ、と。彼ら革マルの荒廃を「社会の荒廃」のせいにしているわけです。だが早稲田の積年の荒廃は革マルの「党派闘争の論理と倫理」によって救済さるべきものであるどころか、まさにその反対に、彼の「党派闘争」の路線そのものによって彼ら自身の生み出したものだ、ということについては爪のあかほどにも自己批判していません。「イデオロギー上の乗越え」ということでイデオロギー闘争の洗礼をほどこせば、それに続いた「組織上の乗越え」ということでゲバルトと陰謀を駆使しての組織の「実体」の解体(その個人は「組織性・思想性」の担い手とみなされる以上、当然、その個人的「実体」も破壊的狙い打ちにさらされる)が神聖化され、その後ではじめて「運動上の乗越え」(飛躍)がもたらされるとすることの純化の道は、早稲田において典型的に、累々たる生けるしかばねをつくりだしてきたわけであり、大衆の批判的活動に常におびえ、ましてそれが組織的に結実せんとするや特別の恐怖をもって襲いかゝることを続けてきたわけです。
 大体、このような宗派革マルの「全学連」――大衆組織の名前をも。ているか、彼らの大衆闘争に区別された「党派闘争」の公然たる手段とされている  そのものが、あの六〇年安保闘争の全学連を、当時まだ中核派と革マル派に分裂していなかったマル同が、宗派的ゲバルトで強盗的に乗っ取ったものであります。また早大文連もこの腐れ果てた  他の腐敗をも
っとも多く語るものゝ度し難い腐敗  宗派の陰謀とゲバルトでいまゝでの所一時的に手に入れているものです。そしてこの三月には、立川基地反対闘争で市民団体の総決起集会  われわれ全学連と反戦青年委員会とは共闘してきた  に、外から「鉄パイプ」をもって「共闘」なるものを強要してきながら、勝手な政治的言いまわしで自分を合理化せんとするまでに至っています。このような宗派運動を、あらゆる大衆運動、とりわけ労働者運動の頭上に決して許してはならないと思います。宗派革マルとその他のもろもろの小ブル的諸宗派の手前勝手な暴力的敵対は、単なる「内ゲバ」としてではなく「階級運動に対する宗派運動の敵対」(マルクス)として、はね返しつゝ前進してゆかなければならぬと思います。
 帝国主義のすさまじい破壊的作用に抗して発展せんとする階級関係は、その発展を反動的な宗派的敵対から自らの力で防衛しぬかなければならぬと思います。宗派革マルは、その「党派闘争」なるものを、大衆闘争とは区別された党派と党派の手前勝手な闘争にみせかけようとし、その廃虚の上に大衆と大衆運動の征服を夢みています。しかしこのような党派運動に対しては、強大な労働者党を構築しつゝ大衆闘争の発展をもって、すなわち無数の大衆の不抜の階級運動を組織することをもって打ち破らなければならぬと思います。
 いま、早大の不死鳥の如くよみがえった大衆運動は、権力、早大当局、宗派革マルの陰険な腐敗せる暴力的敵対を粉砕して大きく発展せんとしています。われわれ全学連は、この早大巨万の学友の大衆闘争の発展と運命を共にするべく闘ってきたし、いまゝた闘い抜かんとしています。第三次早大闘争の名のりをあげたこの闘いに連帯する「環」(わ)を、職場でも地域でもいよいよ広げ深められてゆくことを期して、川口君虐殺糾弾・早大解放闘争支援カンパの大衆的運動を組織することに、御協力をお願い致します。どのような形の御協力でも大いに有難いのですが、闘争資金カンパとして、月一回定期で一口五百円(できる限り二口以上)のカンパを訴えます。なお、随時のカンパでも結好です。

一 九 七 三 年 五 月


全日本学生自治会総連合中央執行委員会(北条委員長)

実物写真(クリックしてリンク先を見ると大きな写真を見ることができます。)


「川口君虐殺糾弾・早大解放闘争支援の環をますます広げるための趣意書」表 縮小版.jpg

「川口君虐殺糾弾・早大解放闘争支援の環をますます広げるための趣意書」 裏 縮小版.jpg







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